まちのビオトープをつくりたい。

ゲストハウス、コミュニティスペース、シェアハウスの運営者として。

work ethic #001

コミュニティマネージャー

長濱 裕作

Nagahama Yusaku

#場の触媒 #港になる人 #越境交流 #共創拠点 #地域編集

ゲストハウスのオーナーであり、コミュニティレジデンスを運営する長濱裕作さん。
話を聞く中で強く印象に残るのは、哲学と文学をはざまのような言葉で形作られる、今までとこれからに対する想いでした。

「自分の部屋づくり」が広がっていく感覚で、事業の半径が拡がっていく。

36歳の時、パチンコ屋の店長を脱サラをして地元の掛川市に戻ったのがすべての始まりですね。前職は全国転勤があり、家族で拠点を移していましたが、子どもが少し大きくなったタイミングで単身赴任しました。納得して始めた一人暮らしでしたが、赴任先のアパートに入った時に強烈な違和感に襲われました。「これは望んでいた暮らしではないな」と。そこから2カ月後には退職するのですが、その間に色々と考えた結果「家族と農的な暮らしをしよう」と生き方の転換を決意し、全国で移住先を探しました。偶然にも理想的な物件が出身地の掛川市で見つかり、Uターンとして今の暮らし方がスタートしました。

Uターンして会社員時代と一変、農的な暮らしがスタートした

家族という存在の優先順位が何よりも高いことに気づいたんですね。Uターンする時には、今運営しているゲストハウスやコミュニティレジデンスの運営構想はあったのですか?

実は全くありませんでした。今でこそまちづくりに近い活動をしていますが、掛川に戻ったこと自体も偶然が大きかったですから。住居として考えていた移住先の古民家をゲストハウスにしたのも、仕事としてではなく、お世話になった人がいつでも遊びにこれて、僕がおもてなしできる場を作ろうという動機からでした。

ゲストハウスどこにもない家

ゲストハウス「どこにもない家」の後、コミュニティスペース「the Port kakegawa(以下ポートカケガワ)」の設立と運営、今ではまちづくりの色々な面でご活動されていますよね。

掛川での暮らしが始まると、空いた時間を使って自分の部屋づくりに取り組みました。長い時間を過ごす空間を心地よいものにするために、DIYで机を作ったり、好きなものを並べたり。今の働き方はその延長線かもしれません。

床張りやベッドフレーム製作も全てDIY

部屋が整ったから、次は家全体を、その次は「どこにもない家」を、「ポートカケガワ」を、掛川のまち全体を、自分の居場所だから大切に、心地よくしていこう、というマインドで活動の範囲が広がっていきました。
中でもポートカケガワという場所は、自分が思う「子どもたちに残したい場所」をたくさんの仲間と共に形にしました。まちの中の人も外の人も、この場所に集まり新しい出会いや気づきを得て、エネルギーを胸に事を始められるような動的な場所です。

ゲストハウスどこにもない家は、動的なポートカケガワに対して静的な場だという

思い描くのはビオトープのようなコミュニティ

ポートカケガワはコミュニティスペース、ワークスペース、ゲストハウスの要素を備えた複合的な施設です。こんな人に来てほしい、という希望はありますか。

想像を超える面白い人が来てくれたらいいな、とワクワクしながら待っています。
思い描く未来像は、面白い人たちが多彩に集まり、それぞれ好きなことに取り組んでいく。領域が重なるところで関わり合い、新しいことが生まれたり、やりたいことを見つけたり。多様な生態系が共存して形成する「ビオトープ」みたいなコミュニティですね。その姿を子どもたちが見て何かを感じてくれたらいいですよね。僕自身もビオトープの一員として、誰かが挑戦するための一歩を踏み出す時には、最大限協力したいと思っています。

ポートカケガワ完成のお祝いには街の顔が集まった

間口の広い居場所が多様な未来を作る話は魅力的です。とはいえ、場やプロジェクトの運営において、「来るもの拒まず」で全てを受け入れるのはリスクがありますよね。長濱さんの中で何かしらの判断基準はあるのでしょうか。

自分にとっての判断軸として“総合的な幸せの量”があります。例えばプロジェクトがあるとして、やることによって生まれる幸せの量はどのくらいなのかを俯瞰的に考えるんです。全体を通してプラスだと思えるものであれば、僕個人はマイナスを背負うものだとしても、やりたいと思います。逆に自分にはプラスがあっても、全体で見たらマイナスなものには魅かれませんね。

2024年にオープンした共創型コミュニティレジデンス『the Port kakegawa』

常にご自身の考えを深く見つめ、価値観を言語化されている印象です。最後に、この先どんなところを目指すのでしょうか。

思い返すと前職では数字を追うばかりで、「自分でやりたい何か」がありませんでした。数字は重要ですが、外部環境の変化で簡単に変わります。環境が変わっても、自分が変わらず残したいものを作っていくことが重要だとこの歳になってつくづく思います。

数年前、食事中に小学生だった娘から「オトンはいつも遊んでるみたいなのにお金をもらえてずるい」と言われました。その瞬間は「ちょっと待てよ!笑」って反論したくなったんですが、よくよく考えれば自分にとって最高の誉め言葉です。
軽やかに遊ぶように、それでいて吹いても飛ばないような、持続可能な働き方をこのまちで模索していきます。

取材・文:高橋 咲月(コンセプト株式会社)

もうひとつの横顔

『演出人』

長濱 裕作さん

記事冒頭、話は長濱さんの脱サラから始まります。
長濱さんの前職はパチンコ店の店長でした。
給料や待遇の条件で足を踏み入れたパチンコ業界。ある方法で社内の信頼を勝ち取っていったと言います。
それはなんと「忘年会の出し物プロデュース」。長濱さんの演出の元、時には先輩にさえも喝を入れながら準備した演目は、参加者からもオーディエンスからも評判だったとか。

当時からあった「おもてなしや人を喜ばせることが好き」という気持ちは、現在の空間づくりにもつながっているのかもしれません。

最後に店長をしていたとき。サービス業での対人関係スキルが今も役に立っている
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